お久しぶりです。代表Takaです。今日は、自分にとっての3月3日のお話。
だれでも数字や日付には、なにやら因縁というか、思い出とかってあったりしますよね。
それでは、はじまりはじまりー。
15歳の頃の3月3日
突然ですが、僕は13歳から東銀座の歌舞伎座の近くにある中央区立銀座中学校に通っていました。
公立中学なのですが、外部から学区を越え越境して通う学生が多く、中央区だけでなく、23区内外、埼玉県、千葉県、神奈川県などから生徒が集まっている多文化共生
不思議な中学校です。
中学入学からしばらくは、あまり記憶がなく、一緒に通学する仲間がいたくらいでした。
その日までは、かなり真面目な学生でした。
たしか。。。
大きな変化となったのは、中学2年も終わりに近い、ある3月3日のこと。
日曜日だった、当日の朝8時。
待っていたかのように、自宅の電話がなりました。
注※当時、携帯・スマホのない時代
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友人A 「おはよう今日、何してるの?」
僕 「今起きたよー」
友人A 「今日遊べる?(後ろでクスクスと笑い声)、今から遊べる?」
僕 「朝早いね。(8時だし)」
僕 「でも今、結構雪降ってるよ(窓から積雪を確認。)」
友人A 「最短で何時に準備できる?」
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ん、、、様子がおかしい。。。。
まもなく、、自宅に彼らが、ピンポン襲撃してきました。(3分後)
でた。。やはり。。。
驚いたのは、友人Aは台東区浅草から、Bは中央区築地、Cは江東区大島から、なんと雪道をチャリでくるという。。。
車でも30分、電車で40分かかるので、たぶん1~2時間以上かけてきてる。。てことは、朝6時台に家出ているはず。。前日にも打ち合わせして。。
3人は共謀した確信犯。。
完全に、はめられた。。(ボーダー以外の右側3人です)
まさか雪の日の朝に襲撃されるとは。。。
実家は商売屋だったので、人が来ることに慣れていたこともあり、面白がって、家にあがってご飯食べて遊んでいけとのまさかのノリの良さ。
その後、近くの公園で雪道チャリレースをして夕方早くに、帰っていくという。。。。。
中学の時代から、そんないたづらをされたり、逆にいたづらをし返したり。
そんな日々が今の自分をつくっているのです。。。
現在に至るまで、いたづらにてご迷惑をおかけした皆様、この場を借りてお詫び申し上げますm(__)m
※法に触れることはしてないと思います・・。
その後、中卒遠足企画では、朝6時、銀座から東海道を歩いて横浜を目指す、東海道ウォークチャレンジ(途中から電車乗りました)。
そして、静岡県伊豆半島下田にある親戚の空き家に、みんなで在来線で泊まりに行き、ただ自炊して生活するという卒業合宿。。。
楽しかった日々が、旅好きの原点なのかなと気付かされます。
2011年3月3日のこと
2009年個人事業主として起業して、2年経って、株式会社宿場JAPANを設立した日は3月3日でした。
皆様から応援いただき金なし、コネなし、物件なし。
結果的に少しずつ手伝ってくれるスタッフも集まったころ。
次なる展開に未来を感じて自信とやる気に満ち溢れておりました私でした。
しかし。。。その後あんなことになるとは。。。。。
そして、3・11東日本大震災
被災された方に比べれば、、僕のショックは小さなもの。
しかしながら、ゲストハウスに小さな人生をかけたチャレンジをしてただけあり、当日、ゲストハウスにいた僕は、被災と同時に凍りつきました。余震は続く、電話もつながらない、やれることは炊き出しの準備と、今いらっしゃる方の安全確認でした。
キャンセルしたい人、逆に帰れず宿泊したい人が、さくそうして、ごちゃごちゃ。宿泊者皆さんのご協力もあって、当日はみんなで励まし合いながら相部屋で宿泊頂きました。
本当に困ったのは翌日以降、余震は続いて、不安と心配から行動ができない。そして、放射能の問題。。自粛ムードにキャンセルの嵐。
同時に、涙が出るような温かい日本に対する励ましのメッセージを頂き、時間はあって、いても経ってもいられず、そのままメッセージを宿泊者のシーツに書いて宿に張り出しました。
クロモンカフェのウスバさんに場所借りたり、その場にいた方にもメッセージ頂いたり。協力しあって。。。
今思えば、かけがえのない時間でした。
そんなこんなでバタついているときに、会社設立に合わせて、つくったばかりの会社のホームページに開業志望の問い合わせが!
1人会社ですが、ウェブサイトつくって早々の問い合わせ、誠にありがとうございます。
残念ではございますが、今回は・・・。とはならずに、もう少し話聞かせてください。というながれになり、、、
ピンチはチャンス!?
依頼主のいる、長野県須坂市に行きました。
そして。。。。彼女は登場しました。
ゲストハウス蔵の山上万里奈様。メガネに、軽自動車で。
※写真撮っとけばよかったなー。。
震災後すぐ。このタイミングで、須坂に外国人を呼び込みたいという彼女。
そこから激的な空室状況のGH品川宿で開業準備6ヶ月。
そして須坂でのローカル修業、そして開業して今に至るという。。。
品川宿も震災前のゲストの集客には6ヶ月から1年くらいかかりましたが、そんな途中での出来事を前向きに取り組んでいたからこそ、1年後には、お客さんだけでなく、仲間も増え、より強い自分になれたと思います。
もちろん、欠かさず山上さんも宿づくりのお手伝いもして、今やゲストハウス蔵は大成功!?しました。
ピンチを救うのは、「自分を信じること」「1人の元気な人」
いつもスポーツの例えになりますが、試合中、負けそうな時、対戦相手に立て続けにやられた時、チームや自分の気持ちのメンタルを持ち直すのは、戦術だけでなく、「自分を信じること」
そして、それを気づかせてくれる「1人の元気な人」
このバランスで、いつも以上の力を発揮して、困難を乗り切り、逆転したりってことありますよね。
他者を助ける余裕、影響できる人間になれるには、この2要素は大切だと思うのです。
3月3日は重要事項のお知らせ通知日
3月3日、9年前の自分、事業が軌道に乗って会社設立。
その後3・11東日本大震災がおこって、耐えて考えて、ようやくわかったのは、3月3日に、自分のおごりや傲慢があったこと。
はい。ここです。3月3日。ベンチマーク。
この重要事項お知らせ通知を理解するまでには、しばらくかかりましたね。
現在の話、2020年3月3日
そして現在の話、2020年元旦には、オリンピック・パラリンピックを前に、日本全体がお祭りムードにむかっていたような日々でした。
そこに伝染したコロナウイルス。
免疫が弱っている方には肺炎を引き起こし死にも至る、非常に恐るべきウイルスである。そして、もう1つ、裏の意味を察しました。
2020年の3月3日に改めて、「自分を信じること」、周囲の「元気な人(仲間)」を見つけて原点にもどるタイミングなのかな。と。
これが、3月3日にくる、我が人生の、重要な「お知らせ通知」なのかなと。
お知らせ通知を受けて思うこと
ウイルスの早期終息を願いつつ、近い将来には、今日を振り返ったとき、「今、まさに感じている心配や不安な気持ち」を将来への成長の糧となっている、と思えていることを信じています。
感染者の方、周囲のご家族、他皆様も不安で心配な日々は続きますが、早くみんなでマスクを取って笑える日が来るよう、予防して早期終息させていきましょう。
そこで、僕はまず、できる事として、「1人の元気な人」であろうと決意した今日3月3日でしたー。
今回も長文をご拝読、ありがとうございましたー。
では、また来月~!
<関連リンク>
宿場JAPAN https://shukuba.jp/
ゲストハウス蔵 https://www.ghkura.com/